基本的に以上のような毎日を繰り返していった。さすがに日々事務は慣れていったので、後半にはすっかり余裕もできた。戸惑っていた地図帳での場所確認も1分もあれば確認できるようになった。不思議だったのは、貸家の人は揃って文化、文化」と言っていたことだった。最初は宗教関係の施設かと思ったのだが、聞いてみると単に「アパート」の意味であるとのこと。ちょっとした「文化」の違いだった。
擢災証明の発行は基本的に市民課で対応していたようだったが、他の部署の応援の人もいて、グリーンスタジアム担当というおじさんがいた。市役所勤務30年の人で、元国体経験のあるサッカー選手であるという(今も熟年サッカーの選手だ)。神戸市民グリーンスタジアムはオリックスの本拠地なので、すっかり話が盛り上がってしまった。また、受付担当の女の子には、何か妙に信頼されてしまったようで、目が合うと必ず困難ケースを相談された。私はボランティアなんだってば。
それとこの現場には各都道府県からのボランティアがいるが、それぞれのお国柄が仕事ぶりに現れておもしろかった。群馬県や新潟県、それに宮城県は自ら積極的に接客の伴う受付班を占拠し、我が茨城は残ったチェック班を担当と言った感じだった。もちろん休憩等でどうしても交代しなければならないので、だれもひととおりこなすことには違いないが。受付班にいると実に様々な体験談を聞くことができた。ある人は6時間下敷きになっていたと言うし1階で寝ていた両親を亡くした人、話をするうちに涙ぐむ人。そういった人が大半であった。中には逆に我々が遠方からきていることを知って励ましてくれる人や感謝してくれる人もいて(そういう人の家は必ず全壊だった)、かえって恐縮してしまった。自分が逆の立場だったらこういうことができるだろうか。
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