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1995年2月10日。いよいよ出発の日である。執行委員のみんなの見送りを受け、集合場所である自治労県本部へ9時に到着する。既に今回の参加者は1名を除いて集合していた。県本部書記の坂本氏。大子町の岡村氏。大宮町の篠田氏。水戸市の川崎氏。そして、東京駅で合流する予定の県本部組織部長の海老原氏。そして自分の計6名が今回のグループであった。
道中では、これから自分たちが行う活動のことや、テレビでは知っているつもりの神戸市の様子などについて、一抹の不安を感じながら話し合っていた。]R線を乗り継ぎ、神戸市に少しずつ近づいていった。大阪までで神戸地震が感じられたことといえば、新聞・雑誌記事や駅に貼つである鉄道の不通を知らせるお知らせの貼り紙だけであった。
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